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キリスト教映画「心の貧しい人々は幸いである」抜粋シーン(3)救われることと真の救いを区別するには

キリスト教映画「心の貧しい人々は幸いである」抜粋シーン(3)救われることと真の救いを区別するには

我々主の信者はすでに罪を赦されており、主のお恵みによって救われる、または、自分たちは謙虚さと忍耐を実践しており、十字架を背負って多くのよい行ないをしている、だからそのことは自分たちが変化を経験したことを意味しているのではないかと考える人は宗教界に数多くいます。そうした人たちは、そのようにして常に信仰を追い求めることができるなら、最後に引き上げられて天国に入れると信じています。事実は本当にそうでしょうか。信仰の中でよい行ないをすることが、真の救いを表わせるでしょうか。救われることと真の救いの違いは正確にはどのようなことでしょうか。

 

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